東野圭吾「カッコウの卵は誰のもの」原作小説とドラマの結末が・・・・違う

カッコウっていう鳥は、ほかの種類の鳥の巣に自分の卵を産むそうだ。モズとかホオジロとかのさ。そうして、雛を育てさせる。知ってるかい?」p.366

東野圭吾さんの「カッコウの卵は誰のもの」は、風見(かざみ)という才能あるスキー選手をカッコウの卵にみたてたお話です。

日本の人間界において、カッコウのようなふるまいは、ほぼあり得ないし許されないわけですが、東野圭吾さんはその状況を実現してしまうんですね。

物語は次のように締めくくられます。

カッコウの雛に罪はない」

 

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小説「カッコウの卵は誰のもの」の結末


風見の生物学的両親は、上条伸行と畑中弘恵。
畑中弘恵が風見の母・智代に自分の子を託し、流産していた智代はその子を自分が産んだ子として届け出た。その子が風見。
19年前、弘恵は不倫相手だった上条を少し困らせてやろうと自分と相前後して出産した上条の妻の子を病院からさらってくるが誤って死なせてしまったのでその子と共に命を絶った。
上条には弘恵が命を絶つ前に手紙を送っていたため上条は真相を知っていた。
あるときその手紙を上条の息子の文也が偶然目にし真相を知るも、何も知らないであろう母を傷つけまいと黙っていた。
そして今回、上条は文也が白血病で骨髄移植を必要としていたため、適合率の高いきょうだいである風見が適合するかどうかを知りたくて近づいた。
父の考えを知った文也は母に真相を知られまいと風見がドナーになれないようケガをさせようと犯行に及んだ。
緋田はドナー検査のため風見に出生の真実を告げようとするも、文也に止められ思いとどまる。
上条は死に、文也は服毒自殺。
文也は自殺前に事件の真相を書いた手紙を緋田に送っていた。その中でも風見に出生について告白しないよう記されていた。
緋田は思い悩んだ結果、文也の思いを尊重することを決め、風見に真相は告げていない。
「もし天罰が下るとしても___。それは自分にだけだ、と緋田は思った。カッコウの雛に罪はない。この子には、そんなことはあってはならない。その時には、自分が命を賭けて阻止するのだ。」p.392

 


カッコウの卵は誰のもの」小説をドラマと比較

WOWOWで、日曜夜10時からドラマが放送されていますが、24日の放送で、風見は自分の出生の秘密を知ってしまいましたね。
びーっくりしました。
あれあれ、話が変わってる。

風見は思い悩んで、緋田につらくあたっています。

最終回よりも前に、もはやだいぶ結論が違ってます。

ドラマと原作では細かい設定はいろいろ違っているけれど、たとえば、智代の出身が前橋と長岡とか、合宿に参加しているメンバーとか、でもこの部分が変わるとは意外でした。

いやきっと、風見は「わたしのお父さんとお母さんは、緋田と智代だよ」、っていうと思いますけどね。最後には^^;

それから人物像が原作と違うように思うのが、文也と緋田。
原作では、事故を画策した文也は24歳で父の会社で働いていたがあまり出社することもなく長期入院。文也には女性秘書がいていろいろ代行してくれる。
ドラマでは秘書が出てきていないけれど、文也が犯人なら秘書の代わりは誰になるでしょう。
これは来週わかるかな。それとも犯人は別なのかも。あやしいのは、上条の妻の弟かな。
原作では社長秘書小田切がでてきて弟はでてきません。
肉親になっているところが何かあるのかも。

緋田は原作では、思い悩んだり若干偉そうにしたり見栄を張ったりしながらも分別ある強い父親に感じますが、ドラマでは弱弱しく思い悩んでいるいまいち頼れない父ってイメージです。
原作の緋田は、上条やその妻を冷静に観察し、発言や行動から真実を推理しようとします。

 

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ドラマの結末は

ドラマの結末、原作とぜんぜん違いましたね!!

びっくりしました。

文也が犯人なのは同じとして、犯行の動機が嫉妬??

な、なんだそれ。

ドラマの結末はこうでした。

 

自分が緋田夫妻の実の子ではないと知った風見は緋田に背を向けるが、緋田が呼びかけふたりはいっしょに上条の通夜が行われる前橋へ行く。

風見はよみがえった子どもの頃の母との記憶から、通夜の前に緋田と共に畑中弘恵の墓へ行く。そこで緋田は、風見の本当の親が畑中弘恵と上条であることを風見に告げ、これからはもう自分たちは赤の他人だと風見に言う。

上条の告別式の日、文也は病院を抜け出して、富良野にある父の会社の保養所に風見を呼び出す。

文也は、何の才能もなく病魔に犯されている自分と比べて、父親がよその女性に産ませた風見が才能があって活躍していることを妬んでいるといい、風見に君はカッコウだとひとりよがりな暴言を吐き、風見を爆破に巻き込もうとする。

風見が文也と爆弾と共にいることを知った緋田は、捜索隊が出動できない危険な吹雪の中、スキーで風見救出に向かう。

間一髪助かった風見は、なぜなんだとやるせない叫びをあげるものの、1か月後にはワールドカップへの代表を手にし、晴れ舞台を緋田をはじめともに合宿した仲間がうれしそうに見守っている。

 

わたしは、文也が、実は風見と緋田を仲直りさせるためにひと芝居打った、と言い出すのを今か今かと思いながら見ていましたが、まったく言わずに爆破自滅してしまった。。。。

 

文也は原作では24歳とは思えない落ち着いた若大人な行動をとります。

母を悲しませたくなかったから、自分に異母きょうだいがいることを母に知らせないための犯行だったのだから。

いやー、東野圭吾さんこのドラマの終わり方で了解だったんですね。

土屋太鳳ちゃんよかったし、柚木役の戸次さんも今まで見た役でいちばんよかった。

けれどけれど、正直、個人的にはこの結末は納得できませんね。

だって文也くん、ただの悪い子じゃないですか、これじゃ。それにその父もまるでダメな父みたいじゃないですか。

文也は、鳥越に実行犯をさせたのも、鳥越が昔、文也の少年サッカーの監督をしていて憧れていたのに、いまでは自分の子を売るような真似をしていて哀れだったから救ってやった、などとかなり自分勝手な発言をしましたし。

原作では、鳥越のことは風見の所属するスキー部について調べたところ見つけた人物で、文也は、弱みに付け込んで実行犯にしてしまって申し訳なかったと言っています。

原作で文也は、ニセの犯行動機を書いた遺書を残すのですが、その中でさえ、反省の態度が見られます。

本当の犯行動機を書いた手紙は緋田のもとに届き公表されることはないのですが、最後まで自分にしか興味のなかったドラマの文也とはまったく違う人物設定となっています。

 

最後まで風見を狙ったあげく、真相告白の文也の遺書はドラマにはでてこなかったな。。。

 

そして原作で文也が守ろうとした母は、ドラマでは、真相を知ってしまいます。

文也の母はきっと誘拐されたわが子がどこかで生きていると信じていたかもしれないのに。ドラマでは行方不明となっている文也の病室で、畑中弘恵が誘拐犯だったことと夫宛に手紙が来ていたことを知らされます。夫の葬儀当日です。そのまま文也はさらに爆弾に点火してしまうわけで、文也がどうなったか、どらまではでてこなかったけれど、恐らく助からなかったでしょう。

この母にとってこんな最悪な日があるでしょうか。

やがて事件の詳細を知ることになるのでしょう。

もちろん知らないほうが苦しい、どんなにつらいことでも真実を知ったほうが前へ進めるという考え方もあるでしょう。

 

 それからドラマでは、才能、ということが多く語られていました。

才能がないと努力しても無駄とか、好きなこととできることは違うとか、誰にでも何かしらの才能はあるけれどそれを発揮できてる人は少ない、とか。

 

これも原作では、その才能を遺伝子の組み合わせとして研究することや、風見が自分のスキーの腕前は努力で得たものだと考えているとかそういうのは出てきますが、才能が題材というより血縁関係と親子関係が題材なのかなと思うのでここも違かな。

 

ドラマでは、緋田と風見は親子の新しい出発、として締めくくられますが、原作では現状維持。少なくとも何も知らない風見にとっては。

原作の風見は、いつの日か真相を知るのでしょうか。もしも真相を知ることになるのなら早いうちに知ったドラマの風見のほうが幸せなのかもしれません。

 

そうか。。。原作の結末のほうがダンゼンかっこいいと思っていたものの、実は厳しいものだったのかもしれませんね。