雫井脩介「火の粉」の結末!ドラマとの比較してみました

 

雫井脩介さんは、大好きな作家さんです。

ユースケ・サンタマリアさん主演で、現在放送中のドラマ「火の粉」の原作は、雫井脩介さんの同名サスペンス小説。

その結末は、ハッピーエンドなのか不条理なものなのか。
感想は分かれるところか・・・。

ドラマは大筋同じのようですが、ドラマオリジナルな展開や人物が登場していますね。

やはりサスペンスはその結末だけでなく経過のハラハラ感がお楽しみ。
原作とドラマの比較もしてみたいと思います。

ドラマは現在放送中ですが、結末が原作と違うかも。
楽しみにしています。

 

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雫井脩介「火の粉」 小説の結末


ずばり、結末から言うと、武内真伍は犯人です。

そして、梶間家のあるじで武内に無罪を告げた梶間勲に殺されます。

梶間勲は、裁判で1年6か月の刑を言い渡されました。

こうやって結末だけ書くと、なんだかあっさりしてしまいますが、この結末の衝撃は、そこまでの過程を読むことで堪能できます。
というか、読まないとこの衝撃を味わうことはできません。

文庫本は565ページありますが、途中で止められないおもしろさでした。
サスペンスって結末だけじゃないってよくわかるというか。いまさらですが^^;

小説は、24のセクションに分かれていて、その最初と最後は「判決」というタイトル。
1の判決では、裁判官・梶間勲が武内に判決を告げ、24の判決では、梶間勲が判決を告げられます。

小説での物語は、梶間勲の目線で始まり、梶間勲の目線で終わります。
途中は、梶間尋恵と梶間雪見の目線になり、雪見目線が多くなります。

梶間勲は、真実に誠実であろうと努める裁判官でしたが、一方で死刑判決を自分で出したくないと思う裁判官でもありました。

武内は6歳の男の子を含む友人1家3人を殺した凶悪殺人犯として起訴されました。
動機は、その友人がプレゼントしたネクタイを使っていなかった、つまり裏切られたから、というおよそ殺人の動機として成立しそうにないもの。
そして裁判に現れた武内は、衣装や物腰が紳士然とした丸顔で瞳が大きい穏やかな人物でした。

しかしマスコミの武内への評価はクロ。よって世間の評価もクロ。

というのも武内は、唯一生き残った被害者の一人として警察に通報、ところが、警察に疑われるとあっさりと犯行を自供、かと思えば、裁判になると一転して犯行を全面否認。世論はそんな武内に憎悪を抱いたのです。

勲が武内に無罪判決を決めた決定的な理由は、武内の背中についたひどい打撲痕が自作自演では作れない、という点でした。

起訴されれば99.9%は有罪という日本の刑事裁判ですが、検察もこの謎は解明できなかったのです。

勲は良心に従って、武内を無罪と判決しました。

直後勲は、次に担当が回ってきていた死刑判決になりそうな裁判にかかわりたくなかったため退官し、大学教授に転身します。表向きは母親の介護のためという理由で。

2年後、勲が受け持ったオープンキャンパスの講座に武内が現れふたりは再開しました。

武内は、勲の隣に偶然を装って引越し、恩人である勲とその家族に尽くし始めるのですが、勲は自分の世間体のため、武内と自分の家族の付き合いには距離を置いていました。

勲は自分の出した判決に自信を持っていたものの、最終的には武内を疑い武内の過去を調べ、雪見と共に武内の背中の打撲痕のトリックも暴くことになります。

しかし時すでに遅し。
そのころ勲の家族は、武内の別荘に。

勲が別荘についたとき、家族は、目の前で武内に襲われている。
一刻の猶予もない中、怒りに震えた勲は、「死ねえええええっ!」と叫びながら大理石の灰皿を武内に振り上げたのでした。
凶悪犯を解き放った自らの責任として。

最後の場面の描写は、目の前に映像が浮かぶような武内のキレぶりです。

武内の正体は、一言でいえば、なんでもやりすぎ異常者でした。
それも子どもの頃からの。
その姿は、2年前の裁判中にはフランスの刑務所に拘束されていた鳥越という人物によって明かされます。武内とは少年時代からの付き合いだった男。

武内は、気に入った人にはとことん尽くし、おそろしく生真面目で、自傷癖があり、ストレス解消にバットを折れるまで木に打ち付ける、などなど。。。

勲は、殺意を呼び起こして武内を殴り殺したわけですが、裁判では、過剰防衛による傷害致死と判断され、家族の声明を守るためであったと考えられることから大幅な情状酌量が認められて、懲役1年6か月という判決となりました。

また、壊れかけていた勲の家族はもと通りになりました。

 

 


「火の粉」原作小説とドラマの比較

バウムクーヘン
ドラマで印象的なのは、最初から出てきた、バウムクーヘンです。
手間と時間がかかるバウムクーヘンを、武内は自宅で作っています。
そしてその時に火の粉が飛ぶ。
タイトルとかけている演出でした。

一方原作小説では、バウムクーヘンは最後の武内の別荘で登場します。
別荘の暖炉に火をくべて、そこで武内が汗を流しながら地道に辛抱強くバームクーヘンを焼く姿が異様なイメージです。
しかしそれは自分が殺した人物の衣服などを焼くために暖炉の火を起したことのカモフラージュではないかとにおわせています。


雪見
雪見は小説の中では、義父母に敬語を使っていません。もっと親しげです。実母から虐待を受けていた雪見は嫁ぎ先の義父母を暖かい家族としてとても慕っています。

ドラマの中では、世間一般のイメージ通り義父母とは敬語で話し一定の距離があるようです。

それから雪見は小説では専業主婦で、仕事をしていません。

それで琴音というドラマで同僚で親友である人物も、小説には登場しません。


俊郎
俊郎は、小説では最初から司法試験浪人中。
ドラマでは、武内に言われて、弁護士を目指すことになります。

よってドラマにある、俊郎と俊郎が辞めた会社社長とのエピソードはありません。


尋恵
ドラマで介護されていたおばあさんは、一言も話しませんでしたが、小説ではひろえさあーん、と尋恵を呼んでいて、遺産の現金分配についても、自分の口で発表しました。

小説では、介護と姑と時々訪れる夫の姉との関係や尋恵の心情も細かく描写されています。

それを見ないふりしている勲のことも。


池本杏子
池本夫人は、ドラマで雪見の勤める店の客で占いを勉強している人として登場しますが、小説では、雪見がまどかを連れて行く公園に甥を連れてきて雪見に話しかけます。


まどか
まどかは、武内からドラマでは手作りジュースを、小説ではヤクルトをもらって飲みます。コアラのマーチもお気に入りです。
まどかは夜眠らなくなったり、乱暴なふるまいをしたりするようになり雪見を困らせます。


全体としては、ドラマでは主演が、武内真伍にですが、小説では梶間家の勲、雪見、尋恵の目線で描かれていて、武内の目線からは語られていません。

しかしながら確かに小説でも主役は武内。武内の心情が独白で語られることはないというのに。


火の粉の参考文献

小説の最後に参考文献が載っているのですが、裁判や冤罪についてが7冊、幼児や子育てが4冊、ほかに介護や窯焼きの本があります。

となると冤罪や裁判官の現実について主に取材したということになるのかな。

 

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雫井脩介「火の粉」はベストセラー

今手元にある「火の粉」の本は、文庫本で平成27年7月10日発行の29版です。
帯には、「累計65万部突破!!」とあります。

さらには「今売りたい文庫No.1」ともあって2016年4月現在、ドラマが放送されていることから、まだまだ売れていることでしょう。

「火の粉」の単行本は2003年2月10日に幻冬舎より発売されました。

もう13年も前の作品なんですね。

でも古い感じはぜんぜんしません。
こういうの読んだことなかったです。

 

感想

小説「火の粉」は、なんとも心ゆすられる本でした。

作者の雫井さんは、男性であるにもかかわらず、女性の尋恵や雪見の心情を読者がとても共感するように描いているように思います。

多くの人の身の回りにあって、取るに足らないようなことのような気もするし、人生の大半を占めるような問題でもあるような気がする家族との関係や気持ち。

小さな子どもや介護が必要な弱い人たちに何かあったら家族はひどく心配し、心を痛め、責任を感じてしまいます。

家族がチームとなって乗り越えなければならない困難があるから、その関係が何か重要なものなのだと意識するものなのかもしれません。その良し悪しは別にして。

介護は今たくさんの人の現実となってきて、その過酷さが広く認知されていると思うけれど、この本が出た2003年ごろはどうだっただろう。多くの人が今でも尋恵と同じように自覚なく無理をしていて誰にも褒めらない。褒めて欲しなんて思ってないに違いないけれど。

そういうささやかな心理にいちいち気づく武内。
梶間家のそれぞれが喜ぶことをいちいち気づける武内。
同じことを家族が気づいたとしたら、それはうれしいことでしょうか。
だけど他人が気づいたらそれは気味が悪いことになるのでしょうか。

法律のことはよくわからないけれど、個人的には、最初に勲が下した判決は、「疑わしきは罰せず」の精神にのっとっているのかなと。だからその時点での判決としては正しかったと言えると思います。

だって裁判官は提出された証拠に基づいて判断するわけで、捜査しませんよね。
勲は自分の敗北ということを小説の中で言っているけれど、裁判官に敗北なんてあるのかな。
しいていうなら、負けたのは検察や警察など捜査する人たちなわけで・・・とはいかないんですかねやっぱり。
証拠だけを見るのではなくて被告の人やなりも見て判断するからそこで騙されたから敗北ということなのでしょうか。

今回のドラマが始まる前に、小説のほうを読んでいたのですが、ドラマを見てしまうと、すっかり、武内がユースケさんにしかもう思えなくなってしまって、最初に抱いたイメージはもうどこかにいってしまいました。
役によくハマってるんですね、ユースケさん。
ドラマではもう初回から、音楽などの演出で武内が怖い人って感じになってますが、うーんなんか、ネタバレ早すぎるような。
このままなら、見てるほうは武内が犯人だってすでに思ってるわけで、最後が武内が犯人でも特に衝撃じゃないような気もするので、小説とぜんぜん違う結末になったらおもしろいのに。
武内はホントに無罪だったってほうがいいな。
だとしたら誰が犯人なら衝撃の結末といえるだろう?
雪見だったら衝撃です。

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