横山秀夫「64」ロクヨン原作小説の結末!モデルとなった実話の犯人は何を思うのか

横山秀夫さんの小説「64」(ロクヨン)が、映画でこのゴールデンウィークに公開されます。
NHKでは2015年に連続ドラマになりました。

原作である横山秀夫さんの小説は、「D県警シリーズ」の第4作目。
実に読み応えのある長編小説です。

「64」には、モデルとなった実話の事件があると言われています。
横山秀夫さんは、作家専業になる前、12年間群馬県の上毛新聞の記者として活躍していましたが、その当時に起きた悲惨な誘拐殺人事件です。

実際の事件は2002年に時効が成立。戦後唯一の未解決誘拐殺人事件となりました。

小説の中でも実話とよく似た悲惨な事件が起こり、舞台は事件の時効1年前。
実際の事件でもせめて犯人がわかったなら。

もはや罪に問われることのない実際の事件の犯人は、この小説を読みこの映画を見るでしょうか。だとしたらその時何を思うのか。

 

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横山秀夫「64」の結末

小説「64」(ロクロン)では、昭和64年に起きた翔子ちゃん誘拐殺人事件の時効があと1年ほどと迫った14年後、同じ地域で全く似たような誘拐事件が発生。
しかし人質は実際には誘拐されておらず、犯人は14年前の被害者の父・雨宮芳男と被害者宅で捜査に携わった元警察官・幸田一樹でした。
今回の事件の被害者の父は目崎正人。
この目崎正人こそが、14年前の事件の真犯人だったのです。

雨宮芳男は、録音されなかった電話の犯人の声の主を探して、公衆電話から電話帳にある電話番号1件1件に電話をかけ、ついに犯人をつきとめたのでした。
警察に不信を抱いていたと思われる雨宮は、警察に通報することを選ばず、親身になってくれていた幸田とともに事件を起こし、犯人に自分と同じ状況を味わわせ、警察に真犯人を示すという方法をとったのです。

雨宮の策は奏功し、警察は14年前の犯人が目崎であると確信したものの、目崎を犯人とする物的証拠はまだなにひとつない。警察は目崎を建前上被害者として監視下に置き、これから時間をかけて証拠を固めていく方針。
翔子ちゃん誘拐事件は、D県警の誰もが犯人逮捕を切望する未解決凶悪事件である一方で、解決すれば自らの失態隠ぺいが明らかになり組織に大ダメージを与えるであろう諸刃の剣でもありました。
原作はここまでで終わってます。
よって小説では、目崎の犯行動機、身代金2千万円の回収方法や行方など、事件の詳細は明らかにされません。

この事件が、14年前は刑事として事件にかかわり、現在は県警広報官をしている三上義信の目線から描かれます。三上は刑事から畑違いの広報官に移動になったことを不服に思っています。とはえ、刑事の経験を生かして、警察の外に開かれた窓である広報のあり方を改善しようと努めており、実を結びつつあったところに、娘のあゆみが家出。以来、これまでのバランスを崩して窮地に陥っています。

三上義信は、最後には、広報官の職務の意味を悟り、部下の信頼を得ます。そして、目崎逮捕の暁には、尊敬する松岡を広報官としてサポートすると心に誓うのでした。

家出していた三上の娘の消息はまだわからないのですが、本人が生きていける誰かがいる場所をみつけているに違いないと考えることにします。


64のモデルとなった実話

64のモデルとなった実際の事件は、功明ちゃん誘拐事件と言われています。

この事件は、昭和62(1987)年に群馬県高崎市の幼稚園に通う当時5歳だった功明ちゃんが自宅近くの神社から行方不明になり、4回の脅迫電話の後、功明ちゃんが川で遺体となって発見されるという、最悪の事件です。
犯人は捕まらないまま2002年に時効となりました。

この事件と64の誘拐事件には共通点がいろいろあります。

誘拐されたのが幼い子どもであったこと、
被害者がむごたらしい姿で発見されたこと、
犯人が被害者を殺害した後に脅迫電話をかけていること、
身代金の額が実際の事件でも最初2千万円であったこと(のちに1千万円に変更)、
警察が脅迫電話の扱いで失態をしたこと、
長い間犯人を捕らえられなかったこと、
舞台が身代金目的の誘拐事件に不慣れな県警であること、

など。

もちろん細かい設定はいろいろと違っているわけですが、事件当時群馬県で新聞社の事件記者をしていた横山秀夫さんは、この事件の取材にも携わったに違いありません。

横山さん本人は特にこの事件がモデルであると言及していませんが、おそらくヒントを得たであろうと多くの人が考えているというわけです。

それに横山さんの本はどれもそうなのではありますが、特に長編である64では、事件の細かな設定や描写にあまりにリアル感があるため、実話の存在を確信してしまうというのも納得です。
そして、このあまりに残忍な犯行を、決して許さない、という気持ちもあったかもしれません。
小説となった事件は、これからも忘れ去られることはないのだから。

ところで、荻原という苗字が、小説の最後のほうに、
萩原という若頭が若い組員に荻原の捺印を押させて詐欺を働いた、
というエピソードで登場しますが、たまたまでしょうか。

荻原は功明ちゃんの苗字です。

 

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感想

横山秀夫さんの小説はみなそうですが、「64」もとても精緻で細かい描写がたくさんあります。
警察の権力関係や男性社会的な組織の中争い、中央と地方の関係、警察とマスコミの関係。
何気ない心情もすべて伏線となって、物語の大詰めと弛緩をまるで当事者のように体験できました。

小説の大部分が三上の独白となっていて、映像にするときにはこういうのが難しいだろうなと思います。

また無言電話をいたずらや嫌がらせではなく、何か希望のあるもののように思う心理も絶妙でした。が、それがまさか、事件の真相のカギとなっていたとは。

事件のプロットで不思議に思ったのは、警察って脅迫電話の録音手段を1つしか用意してないんだ、ということ。
事件は昭和64年のことであり、今では違うのかもしれないけれど、当時はプランBとかバックアップとかいうのはなかったのでしょうか。
クオリティが低いとしても、ウォークマンでとるとかマイクを電話口に近づけてカセットデッキでも録音するとか。当時もありましたよね。
録音担当だった若き有能技術者が責任を感じているけれど、これって仕切りの悪さでしょう、録音手段を一つしか用意してなかった管理側の問題ですよね。で、原作では悪いのは現場の班長ってことにになってます。部下の失敗のせいにして隠ぺいしたから。
だけど、もっと上の誘拐捜査のノウハウというかを作ったもっと管理者のほうが責任重大ですよ。

それから犯人は脅迫電話で声を変えていませんでした。
だから特定できたわけですが、これも変な犯人ですよね。
電話の声では特定できるわけないと思ってたのでしょうか。あるいは現実の事件では意外にも声を変えない電話が多数派だったりして。

ほかに、電話の発信元番号表示機能が導入されたくだりがでてきます。
今では発信元の不明の電話には出ない人も多いわけで。
また、小説では手間取っている逆探知ですが、現在では一瞬でできるってテレビで言ってるのを見たことがあります。

いろいろと変わりましたね。。。

印象的なセリフは、「刑事は世の中で一番楽な仕事だ」というもの。
刑事はタイヘンな仕事で、のわりに給料安くて、時間も不規則で、24時間刑事でプライベートなんてない、といった主張は多く目にしますが、一番楽っていうのは初めて見ました。

それで思い出したことがあります。
「考えないのは楽だ、だから考えてはいけない軍隊は楽だ」っていっていた人がいました。

三上の独白に「刑事は現実の苦労も苦悩も悲哀もたやすく棚上げできる。常に追うべき獲物がいるからだ」
とあります。

つまり現実逃避として楽ということでしょうか。
なんだか仏教的ですね。生きることは苦っていうか。

日本人の平均的40代男性は、たいていそんなものなのかもしれません。

主人公・広報官の三上は、上司から、部下から、刑事部から、娘から、妻から、そして警察詰めの記者たちから・・・いわば自分を取り囲むすべてのものからストレスをかけられている、まったく幸せに見えない人物です。
なにより娘が家出して行方不明である限り、幸せを感じることはできないと思われます。

それでも警察官として、組織人として、夫として、それぞれの立場で自分が求められている理想の役目像をおそらく正確に理解していて、使命を果たそうとしています。

とても常識的で誠実な人物です。

そしてみかけは鬼瓦のようらしい。男性警察官ならそれは、強みだったのではと思えます。
県警一の美女を妻にしたものの、娘は父親似で、そのことを極端に気にする心の病となり家出。
整形するといった娘を理解できなかった三上ですが、これビミョーっていうか、顔は気にしてないらしい三上とはいえ、娘に全面同意するほうがおかしいですよ。反応としては三上はちっとも悪くないと思うけれど、娘はまだ大人ではないからそうはいかないのかな。

64は、自分の現実よりもずっとストレスが多い状況だけれど、それでも64の世界に入り込みそれを追体験するのは快楽なんですね。
刑事の仕事じゃないけど、現実逃避できることは間違いなし。
とてもおもしろかったです。

だけど、モデルとなった未解決事件が現実に起きていたなんて。
それを考えるとおもしろいなんてならなくなってしまいますね。だから横山さんはあえて言及しないのかもしれません。

小説では、少なくとも犯人がわかりました。
きっと小説の中の警察は時効前に証拠を固め、目崎を起訴するでしょう。

事件を目の当たりにした横山さんは、これを書かずにはいられなかったのかな、とも思います。
人気作家の小説となればそうとう長い間残るのだから。

少なくとも忘れ去られないきっかけとはなるのだから。

犯人は64を読んだでしょうか。

現在の科学捜査の手段があったら、犯人は捕まったでしょうか。

当時犯人は異常者とされていましたが、異常者ってどういう人を指していたのでしょう。
30年前は世間の共通認識や言葉の意味も今と違わないようでいて違っているのだと思います。
変わらないのは被害者側の苦しみです。

現実には起きて欲しくない苦しみも、物語の中で想像し体験することができます。

不思議なことにそれは快楽であり、同時にこうしていろんな人生を体験することで社会で生きていく方法を学んでいるってことなのかな。

犯人は、64には書かれていない、事件を起こした動機や理由をみなのまえで説明できますか。